ねこと花のつぶやき

宇宙とは、ヒトとは、そんなことを考えていると元気が湧いてくる。

ムーンショット型研究開発制度について

2021年があけました。

昨年は、コロナ騒動の影で日本国政府ムーンショット目標も話題になりました。

今年はどんな年になるでしょうか。

 

さて、今さら、遅ればせながら、ムーンショット計画

(正式名はムーンショット型研究開発制度のムーンショット目標)について

今回は、綴っていこうと思います。

 

2021年1月の時点では、内閣府のホームページに、

ムーンショット目標(2020年9月更新)について更新されていますね。

 

では、私の解釈と言葉で、この計画を要約してみましょう。

 

唯物論的に偏った視点から、幸福を実現させる世界」

少子高齢化の対策としての労働力確保」

ということになります。

 

自分は脳だけの活動(遠隔操作)で、遠く離れた距離のロボットでも

自分の筋肉と体になって動いてくれる。

 

そして、100歳までは、人間誰しも病気せずに生きましょう。

病気は外側からやってくる、たまたまの不幸な唯物的現象なので、

唯物的に、病気を排除。

 

ネットの界隈では、「バーチャル環境」に、

アバターを自分の身代わりとして、

操作するようなイメージを持たれている方もいるようです。

(ゲームの世界のような解釈の仕方)

 

ある意味そうかもしれません。

 

(しかし、この世は、バーチャル環境ではなく、

ちゃんとした人間の意識によって作られ、

確かに実現されている実ったリアルな世界です。

この世がバーチャルだと思いすぎると、自分の空間が無機質になって、

自分自身もバーチャルのように感じて、

精神が病むのではないか…という感想がある。)

 

いろんな解釈がされるなか(時々、ん?と思う解釈もあります)

ただ、私個人的な解釈は、

人間の霊性的な面や、自然などの神秘的な空間は失われて、

無機質な離人症的な、

世界になっていくように、私には思えます。

 

人間の直感や感覚は、個々によって違いがあり、

確証や共感は難しいものですが

(だから面白いし、無理矢理に他者と同化する必要もない。)

では、

霊性的な面とは何か、そう問われると、答えに困りつつも

言えることは、

 

病気になぜなるのか、

「精神的なものが先」で、

私たちは、

病気になることで、かえって気が付くことや、

守られるものがあり、病気はっして不幸なことではありません。

これは、スピリチュアル界隈でも、宗教でも昔から言われていることで、

受け売りと言われれば、そうですが、実体験でも感覚的に確信していることで、

ここまで、「精神や意識が先」が、

蔑ろにされている世界が大多数であるのも不思議に思います。

いえ、分かっているけれど、

利権的にその理解にフタをしているのかもしれません。

 

人生による幸福感も、様々な経験により変化します。

 

臓器移植も始まった頃から疑問に思っていましたが、

私個人には、止めることができず、恐れていた臓器売買がやはり

起こってしまいました。

 

いろんなことが言われていますが、ものすごく無責任で、俯瞰的ですが、

この無機質感の世界は、行くところまで行ってもよいのではないか、

そうも思ったりします。

 

現在でも、ゲームの世界に没頭しすぎて、

リアルな自分以外の人間を、ゲームの中の無機質な画像のようにしか

感じられない人口も少なからず存在し、

リアルな人間とのコミュニケーション能力が蝕まれてしまわれている人々もいます。

 

そして、そんな世界の中にいるせいで、

生身の人間は、周りには誰もいなくなり、

家から出なくなり、孤独になり、またゲームの世界に入っていく、

という循環世界の住人も存在している。

何処かで分かっているけれど、これもまた、

ゲーム会社の利権に巻き込まれているのかもしれません。

 

確かに、遠隔操作により、危険な仕事や、重労働はロボットがするようになれば、

プラスの面も、この計画には含まれており、

一概に全てが誤っているわけではありません、有り難い話です。

少子化によって、高齢者を支える仕組み作りとして、

逆ピラミッドになる人口を、ロボットによる労働力で支えることになれば、

この問題も解決されるかもしれません。

 

労働力をロボットに変換していき、

地球上の人口を徐々に減らしていく方向で、

これまでの、人口爆発によって起こった様々な問題が、

解決されていくかもしれません。

 

しかし、このムーンショット計画の世界が実現した後は、

人間の霊性的な部分が益々忘れ去られて、

活気ある人と人とのコミュニケーションが激減し、

精神的に病んでしまう人口が

増加するようにも感じています。

(精神を病むことも不幸ではなく、経験の一つにすぎませんが…)

 

SNSに、ロボットのペットに、アンドロイドに、

人口植物に、

本当の寂しさを癒やしてもらえるのは、

難しいのではないか。

リアルに人と人との交流としての、自然や動物との、

目に見えないエネルギー交換はできないのではないか。

唯物論は、行くところまで行けば、やっと人類も気がつき始めて、

ロボットのペットではなく、

怪しく思われるかもしれませんが、動物とのテレパシックな会話や、

自然との共生と(私個人のイメージでは、映画のアバター1のような、

動物や木などと一体になったり(笑))

霊性が進化する方向に、はじめて転換できるかもしれません。

 

改めて、もう一度付け加えますが、

この計画の全てが、デメリットだということではなく、

ロボットの世界を人類は経験してもよいかもしれないが、

人口ロボットやバーチャルのみの世界は、

自然に作られた世界にはけっして敵わない、感動や幸福感が失われていく世界に、

蝕まれていくという側面もあるのではないか、

もっと、

「自然や植物や動物を主に、霊性や精神を主に、

ロボットを属とした視点の方向に、これからの世界が進んでいってほしい」、

という希望をもちたい、

そんなことも、考えたりするわけです。

あくまでも私個人の見解と、感想である。